■ 言葉 2010.05

 

【少ない言葉の中から、君の温度を探ってみたり・・

言葉は、事実も真実も語るわけでもなく、

ただ、その時を繋ぎ合わせるだけのツールに過ぎない。

僕は、こんなにまで

どうして君の心の中を知りたいと思うのだろう・・】

 

 

例えば、

こんなフレーズがあったりして。

 

真実を探る・・・・

真実など誰も語ろうとしません。

 

では、何処に語られている箇所があるのか?

 

言葉は、真実を隠すためのツールであり、

その断片にしか過ぎません。

断片を繋ぎ合わせても、

ピースの抜けたパズルのように、

その実態を見ることが出来ず、

抜けたピースにどんな絵柄が組み込まれるかは、

全体像を想像する他ないのです。

 

いくつかの言葉から、

真実を探る作業は骨が折れます。

時にソレは、 嘘に満ちてるからです。

そういうやり取りに 疲れてしまい、 想像することすら放棄し始めます。

 

そのうち、

想像する・・のではなく、

言葉遊びに気軽に付き合うほうが、無難だと感じ始めます。

でも知りたいのは、

真実であり、

事実では無いのです。

 

商業主義と言われる現代社会では、

ありとあらゆる物事を損得で考えます。

国際関係、政治、企業・・・

そして、本当に小さなコミュニティーに至るまで。

 

自分にとって・・・或いは、自分たちにとって、

有害か無害か、利益があるか・・或いは無いか・・

そんなアンテナが常に張り巡らされており、

そのアンテナに引っかかった時、言葉は作用し始めます。

 

地球全体に行渡る“資源”や“資産”の定量が定数であると過程した場合、

そうした損得の動きは、当然のように

ある部分の人たちに流れれば、

ある部分の人たちから減ることとなります。

 

日々、行っている言葉のやり取りの中に

隠されている暗号を解読すると、

それは自己の利益に向けたものであり、

その出力された結果が事実そのものです。

 

 

真実とは、程遠いもの・・・

 

 

僕が知りたいのは・・・

真実なのです。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

陶芸家の中村裕さんという方がいます。

 

最近、ごく短い会話をしました。

先生は、いつ作品を作るのですか?

僕のその問いに・・

僕は、朝決まった時間に辺りを散歩します。

毎日、同じ景色を眺めますが、

毎日、沢山の発見があります。

 

木の色や川の色・・・

空や雲や鳥や虫・・・

いつも感じることが違います。

それは、自然の変化もありますが、

自分の内面の変化でもあります。

 

旅は好きですが、 わざわざ遠くまで行かなくても、

このありふれた自然の中に 多くの発見があるんですね。

僕は、そこから作品作りに入ります。

 

昔は抽象の意味が分らない部分もありましたが、

表現を突き詰めていくと、

やはり抽象的になるものです。

 

“本質”を見つめた時、 そこにある木や鳥や花は、

完全な円であったり、

白い曲線であったり、

黄色い点であったり・・・

僕自身の意識は、常に変化します。

 

時に鳥になり、

鳥の視点で自然を見つめ、

時に虫になり、虫の視点で自然を見つめます。

そして、雲になり風になります。

そうすると、今までとは全く別のものが見えたりするんです。

 

目で見えるものは、大切です。

実際、太陽は赤くはないし、

木は茶色ではなく、むしろ黒や白・・或いはグレーです。

川も青くはなく、白と黒で表現したほうが自然です。

 

だけど・・・

目で捉えているものは、

物事のほんの一部に過ぎないということですね。

 

 

ごく、短い会話に散りばめられた【言葉】は、

真実のみを語るものでした。

 

これが、 僕の財産です。