■ 距離感 2010.03


人間、距離が近すぎると

見えるはずのものも、

見えなくなります。

それは、

可知的にも

可視的にも・・・



実際、

文字を目の前、10センチの距離に配置すれば、

解読は出来ますが、

2ミリの距離に配置したら

解読は不可能です。

 

それは、物理的な問題ですが、

実社会において、

自分の身近にあるものほど、

見えていないことが多いですし、

“近くにある”という位置関係が、

その価値を見えずらく

してしまっているように思います。

対人関係もそうですし、

物事も同じです。

 

それは、ある意味、

近くにあることへの“安心感”と“拒絶”なのかもしれません。

殆どの人は、

無意識に

近過ぎる・・・と、遠ざけようとする本能が備わっているようです。

 

それが、分っているので

僕は、

人も

物事も

大切なものほど、

近くに置きません。

 

置かないといっても、

“大切”なので、相当に近い存在であることは確かです。

それは、

可視的なことではなく、

可知的なことです。

分り易く言うと、

意識の上で、

近すぎない距離感を保つ・・・という意味です。

僕は友人と呼べる人は少ないので、

その限られた人は、とても尊い存在です。

ですから、

10年、20年と付き合える関係性を

無意識に・・ではなく、

意図的に保てる距離で付き合うようにしてます。

それは、たとえ身内であっても、

近すぎると

色々な諍いが起こるのと同様、

意識する・・・というのは大切なことです。

 

本題なんですが、

自分にとって欠かせないモノ・・・・それは、

やはり料理です。

料理というものを自分の中で、

どのような存在にし、

どのような位置に置くか・・・が、

長く付き合っていく中で、

とても重要なことなんです。

意識して、上手く付き合おうとしていても、

今はまだ、料理を純粋に楽しめていません。

どんなに距離を測ろうにも、

その存在は、あまりに大きく、

毎日の自分に関係し、

とても近すぎて、

そこから逃れたい・・・という気持ちのほうが

大きくなってしまいます。

かつて、純粋に料理を楽しんでいた頃も

確かに存在しました。

それは、いつしか、

“やらして貰えること”“作れることの喜び”

から、

“やらなくてはいけないこと”“作ることの責任”

へと変化して行きました。

 

上手に経営する。

美味しい料理を作る。

 

もしかしたら、

レストランの根本を見直そうと思った時、

一番大切なことは、

自分が料理を“楽しむ”だけで

すべてが解決するのかもしれません。

 

そのシンプルな答えも・・・

人は、近すぎて見えなかったりします。