■ 水について 2007.04

水について、あれこれ考える。

水の捉えかたで 随分と料理も変わるはずだ。

“生命体は水によって創られた”

このキーワードから始まる。

素材の味を決定付けているのは水だ。

マズイ水から旨い野菜は作れないし、

野菜の殆どは、水から出来ている。

健全なる水を地下から吸収し、野菜は育つ。

勿論、日光や風、土の栄養素、気温・・正確に閲覧すればきりがないが・・

汚い海から美味しい魚貝類は捕れない。

海水の性質で魚貝類の味は決まる。

健全な海から良質の魚貝類が獲れる。

 

全てはあたり前のことであるが、

現在、稀にしか行われていないことなのかもしれない。

それは、禽獣類にも当て嵌まる。

我々人間だって、水から創られているのだから。

さて、料理の話。

マズイ料理は“水”がマズイ。

こういう仮説を軸に考えてみるのも面白い。

 

乾燥物のみで、フルコールを作るなら話は別だが、

美味しい料理は瑞々しいものだ。

少なくとも、私はそう考える。

皿の生命力とは、瑞々しさだ。

それは、時間の経過やエネルギーそのものを意味する。

分かりずらい話だが、逆をイメージすれば

その意味が分かるはずだ。

水はエネルギー体の象徴でもあるし、エネルギーそのものを

受け止める“器”でもある。

その“器”とは、“受け入れる”ことと“反応”すること。

宇宙に存在する、エネルギーを地球が感じ取れるのは、

地球が水の惑星だからに他ならない。

 

そして“器”についての話だが、単に水は“味の無い”物質だから

味を抽出する際の“器”に最も適している。

これは、間違いではないが、それ以前に“水”という物質の性質上、適しているのであって、

“味が無い”物質だからというのが理由ではない。

水という特殊な性質が味の要素を受け入れることを可能にしているのだ。

まず、この考えがあって次に“水の選択”に移ることができる・・・・・・・

と、ある日のある瞬間、ふとこんなことを考えたりしている。

僕の頭の中では、例えば、こうしたことなど関連性のない事柄が

次から次へとなだれ込んできて、同時に3,4つ考えごとをしている。

独り言が多いのは、きっとそのせいだ。

いつも誰かと話をし、考え、返答し・・を繰り返す。

この水の話を頭の中で思考していた時間はきっと僅か数秒だと思うが

いざ、今のように活字にしてみると結構な行数になったりするし

キーを打つのにも結構なエネルギーと時間を費やす。

人間の一日の思考を文書化すると、それはそれは膨大であると。

webによる思考の公開に意味を感じ、いくつかの文書を

アップしているが、僕のパソコン上にストックされている思考の量は

相当なものだが、公開するものは少ない。

公開できそうな思考を捕まえようと努力してみるが

今回のように、結構なエネルギーと時間を費やす。

思考とローカルサイトをポートで繋ぎ

自動的にリモートサイトにアップできれば、

それほど楽なことはないなと思う。

それは、本当に価値のある

テクノロジーの進化だと思うし、

あと10年以内には現実になるだろう・・

いや、特殊な分野では実験的段階ではあっても

既に成功している。

と、言っても一般化されるまでにはあと30年はかかるだろうな・・・

が、

残念ながらその頃の僕には、公開できるほどの思考能力自体が無くなっている気もするが。